羽生結弦の生い立ち~小学校、中学校、高校、大学…それぞれの時代

ソチ五輪、平昌五輪と見事2連覇を決めた羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手。

聞けば、フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの快挙なのだとか。

とにかくスゴイ羽生選手ですが、一体どのように育まれたのでしょうか?

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◆幼稚園時代

羽生結弦選手は、宮城県仙台市泉区の出身。

実家は、県営七北田(ななきた)住宅というところにありました。

羽生選手がスケートを始めたのは4歳の時。

長野五輪が行われ、冬季競技の注目度が高まり、フィギュアスケートもブームになっている頃でした。

4歳年上の姉がレッスンを受けていたのを見て

“たまたま始めた感じですね”

と羽生選手は振り返ります。

しかし天賦の才は、早くもその片鱗(へんりん)を見せていました。

幼稚園児にして、小学生が跳ぶ1回転半ジャンプを習得。

スケートを始めて2年足らずで、2回転サルコーまでこなす驚異的な成長を見せていたのです。

◆小学校時代

羽生結弦選手は、仙台市立七北田(ななきた)小学校を卒業しています。

小学校2年の時には、ソルトレークシティー五輪が行われ、ロシアのヤグディンとプルシェンコの激突を見て、夢舞台への憧れを抱きます。

ちょうどこの頃、新松戸アイスアリーナから都築章一郎コーチが仙台に移ってきて、小学校6年まで指導を受けることとなりました。

しかし羽生選手はこの時期、早くもスランプに苦しみます。

“同期の中で僕が一番、3回転をきれいに跳ぶのが遅かった”

理由は体の成長が遅れたためですが、周りが次々と3回転ジャンプをものにしていくのが悔しくて仕方ありませんでした。

しかし、都築コーチは羽生少年に卓越したものを見出していました。

“とにかく感性がすごかった。曲をかけたとき、おじけづかずに対応できる。子どもにはなかなかできないことなんです。非常に積極的で、自分というものを持っていました”

高学年になるにつれて体も出来上がり、ジャンプの精度も向上。

小学校4年の10月に初出場した『全日本ノービス』で優勝すると、フィギュア関係者の間ではこう囁かれ始めました。

“仙台にマッシュルームカットの天才がいる”

小学校卒業までに3回転を全てマスターした羽生少年は、小学校の卒業文集にはこう綴っています。

“五輪で金メダルを獲る…!”

◆中学校時代

羽生結弦選手は、仙台市立七北田(ななきた)中学校を卒業しています。

中学時代の羽生選手は、さまざまなスケートの大会に出るため、学校は休みがちでした。

スケートの練習があるので塾にも行けず、普通なら勉強が遅れてしまいます。

しかし羽生選手は、自分で問題集を買ってコツコツやっていました。

自覚もあったのでしょうが、現在は中学校の校長を務める父・秀利さんの

“スケートだけの人間になるな”

という教えを守っていたのでしょう。

遠征先にも参考書を持っていき、時間を見つけては勉強をしていた羽生選手は、遅れるどころか、成績は優秀だったと言います。

また、学校に行ったときは、

“休んでいるときに、みんなに迷惑をかけているから”

と、掃除係などに積極的に取り組みました。

スケートの実力から天狗になってもおかしくない年頃ですが、学校に来たらやるべきことは必ずやるので、友達にも好かれていたそうです。

◆高校時代

羽生結弦選手は、仙台市の東北高等学校を卒業しています。

東北高校は、本田武史さん、荒川静香さんらを輩出した、フィギュアの強豪校です。

羽生選手が高校1年生だった2011年3月11日。

期末試験を終え、アイスリンク仙台で練習していたさなか、東日本大震災が発生しました。

ライフラインはすべて止まり、実家は全壊指定。

羽生選手の一家は、小学校の体育館に4日間、避難しました。

ようやく電話がつながるようになると、母親の由美さんは横浜にいた都築さんと連絡をとり、

“結弦をそちらで練習させてもらえないでしょうか”

とお願いします。

そして3月20日には、横浜で練習を再開した羽生選手ですが、

“生きていくだけで精いっぱい。このままスケートを諦めてしまおう…”

と、不安定な状態でした。

関東圏のリンクの多くが閉鎖し、スケーターが横浜のリンクに集まってくるため、羽生選手の羽生の練習時間も限られます。

しかし、そんな羽生選手を後押しするように、宮城県と仙台市は、アイスリンク仙台に、異例の営業再開を要請。

再び地元で練習ができる喜びを味わった羽生選手。

震災から1年後の2012年3月、世界選手権に初出場し、銅メダルに輝いています。

◆大学時代

羽生結弦選手は、現在(2018年2月)、早稲田大学人間科学部『eスクール』に在籍しています。

実は大学生活『5年目』なのですが、さぼって落第した訳ではありません。

早稲田大学に入学した年は、ソチ五輪を控えたシーズンだったため、金メダルをとるために、勉強を犠牲にしました。

つまり、同じタイミングで入学した生徒に比べて、1年遅れをとっているのです。

ちなみに、競泳の瀬戸大也選手は、早稲田大学の同学年でした。

一足先に卒業してしまいましたが…(-_-)

しかし、大学5年目の今シーズンは、平昌五輪と重なっています。

平昌では見事金メダルを獲得した羽生選手。

大学の方はゆっくり卒業して欲しいですね。

◆まとめ

震災後の世界選手権で銅メダルに輝いた羽生選手は、テレビのインタビューに笑顔でこう答えています。

“被災地のために滑ろうと思っていたのですが、それは違うんだな、と。逆に、僕は、支えられている立場だったんです。応援されている立場。その応援をしっかり受け止めて、演技することがいちばんの恩返しだと気づいたんです。やっと自分のなかで、震災を乗り越えられたんだという気持ちになりました”

日本中の応援を受けて、羽生選手の挑戦は、これからも続いていきます(^o^)丿

◇編集後記

羽生結弦選手は、8歳の時からファイテンのネックレスを愛用しています。

そして、現在つけているモデルはこちら。

ファイテン RAKUWAネックX100 (チョッパーモデル) 羽生選手愛用ネックレス

留め具部分が“V字”になっていて、シャープな羽生選手の顔立ちにフィットしています。

眺めているだけでも、羽生選手の気分が味わえますよ(^_-)

《平昌五輪フィギュア代表!》

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コメント

  1. […] 羽生結弦の生い立ち~小学校、中学校、高校、大学…それぞれの時代 […]

  2. pourmetz より:

    なんかコントみたいだなw そんな厳しい兄上も、やる夫が一年間一人暮らしできたことを褒めるんだから弟が可愛いんだろうな しかし、やる夫のまわりは良いキャラした人が本当に多い