小平奈緒の『軌跡』~相沢病院に入職、信州大学の友…それぞれの時代

平昌五輪・女子スピードスケート500mで金メダルに輝いた、小平奈緒(こだいら・なお)選手。

今回は、そんな小平選手が歩んできた人生の『軌跡』を振り返ります。

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◆保育園時代

小平奈緒さんは、長野県茅野(ちの)市の出身。

スケートを始めたのは、2歳とも3歳とも言われています。

小平選手にはお姉さんが2人いて、一緒にスケートリンクへ通っていたことがきっかけとなりました。

スケート初勝利は、保育園児のときだったとか(゚д゚;)

どういう状況かは分かりませんが、才能の片りんは既に姿をあらわしていたのでしょう。

◆豊平小学校時代

小平奈緒さんは、茅野市立豊平(とよひら)小学校を卒業しています。

豊平小学校の生徒にとって、小平選手はヒーロー(ヒロイン?)。

平昌五輪の前にも、その活躍を応援するために、校長室前に応援メッセージを入れる「箱」が設置されました。

児童たちは休み時間になると、心温まるメッセージを書き込んで入れています。

児童昇降口には、小平選手の活躍を伝える新聞の切り抜きも所狭しと貼られていました(^^♪

また小平選手は、小学生時代に在籍していた『豊平スケートクラブ』に毎年、小平選手から新入部員のためのクラブのウエアが贈られています。

部員たちは小平選手のことを“なおちゃん”と親しみを込めて呼んでいて、未来のオリンピックを目指して練習しています。

◆北部中学校時代

小平奈緒選手は、茅野市立北部(ほくぶ)中学校を卒業しています。

中学からは『宮田(みやだ)スケートクラブ』に所属し、新谷(しんや)純夫コーチの指導を受けました。

新谷純夫コーチは、バンクーバー五輪代表の新谷志保美選手の父親でもあります。

中学校2年で出場した『全日本ジュニアのスプリント総合では、高校生や大学生を破り、史上初の中学生王者に。

レース後は報道陣に囲まれましたが、何も話せず震えていたため、

“勝って何を話すかまで考えなさい。記者の質問の答えまで用意して優勝しなさい”

とコーチに怒られてしまいました(>_<)

一方、中学校での小平選手は、

“奈緒ちゃんは頭も良く、スポーツ万能でいつもにこにこしていた”

と、同級生が話しています。

中学校時代から

“オリンピックで必ずメダルを取る”

と宣言していて、当時からサインを考えていたという勝気な一面もあります(^^)v

◆伊那西高校時代

小平奈緒選手は、伊那西高校を卒業しています。

世界での活躍を視野に入れていた小平選手は、自ら志願し、長野・宮田村の新谷コーチの自宅に下宿しました。

以来、週5日で毎日最低6時間、学校に通いながらの鍛錬をこなしています。

茅野市の実家には、1時間半あれば帰省できましたが、一度も帰るとは口にしなかったといいます。

休みの月曜日には、

“機嫌を損ねて口をきかなくなった”

という練習の虫(^_^;)

小平選手はこの時代を振り返り、

“新谷先生(の指導)はあまり良い思い出がない。厳しい練習に耐える精神力を鍛えてもらった”

と苦笑しています。

厳しい練習の甲斐あって、高校時代はインターハイで500mと1000mの2冠を獲得。

全日本ジュニアでも優勝を飾っています。

一方、高校での小平選手は、担任の先生によると、

“体も大きくない普通の子”

という印象。

当時から短い髪形がトレードマークで、担任の先生を「綾コング(奥田綾子先生)」とあだ名で呼んで、クラスに笑いを巻き起こす存在でした(^O^)/

しかし、綾コングが大会の応援に行くと、

“近寄りがたい、怖いくらい集中していた”

と、印象はがらりと変わりました。

高校2年の時には、全校生徒を前に、

“多くの人に夢や感動を与えたい。だから私は挑戦者であり続ける”

と宣言したこともあります。

◆信州大学時代

高校卒業時、富士急行や三協精機などの強豪から勧誘されましたが、

“教員になりたい”

という夢を捨てませんでした。

大学は、清水宏保氏を育てた結城匡啓(まさひろ)コーチがいる信州大学教育学部へ進学。

大学では、履修に関して特別な配慮は受けず単位を取得し、卒業論文は『有力選手のカーブワーク動作解析の研究』でした。

◆現在は相沢病院へ所属

将来は、

“先生になってスケートの楽しさを伝えたい”

という夢を持つ小平奈緒選手。

しかし、もう一つの、

“オリンピックでメダルを獲る”

という目標のため、大学卒業後も結城匡啓コーチのもとで、競技を続ける必要がありました。

しかし、4年生の冬になっても就職先が決まりません。

“朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで…”

と、新聞記者に自虐的に語ったこともありました。

この状況に手を差し伸べたのは、松本市の相沢病院。

相沢病院は、小平選手をスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用します。

しかし実際には「長期出張」扱いとして競技に専念させ、給与、住居費、競技用具の購入費など年間1,500万円ほどを負担しています。

それでも相沢病院は、小平選手に広告効果など期待していません。

相沢理事長は笑いながら、

“病院そのものにとってメリットがあると思えない。盛り上がって、一体感があって、仲間意識を持てる。それが重要”

と、支援する理由を話しています。

◆まとめ

念願の金メダルを獲得した小平奈緒選手。

脳裏には2人の親友の顔が思い浮かんだことでしょう。

1人は保育園から中学まで一緒だった、柳平愛美菜さん。

柳平さんは、2009年に長野県を襲った集中豪雨の犠牲となっています。

もう一人は、信州大学の同級生で、ともにソチ五輪に出場した住吉都さん。

住吉さんは、平昌五輪の代表に漏れ、2018年1月に亡くなっています。

亡き親友たちは天国から、小平選手の金メダルを、誰よりも喜んでくれていると思います。

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